第68回 宇宙科学技術連合講演会を終えて、新しい情報を幾つか仕入れてきました。特に月の縦孔を探査する「UZUME」プロジェクト関連で拾った月環境の話、10年くらい前からずっと言われている話なんだけど、それと現行の月面開発が前提にしている月環境があまりにもかけ離れています。
「これはまじめに普及活動をせんとまずいなぁ」
そう感じましたので、これからしばらく宇宙ネタは月面基地とか月開発に必要な基礎知識をガッツリと書いていこうと思います。
●地球と月の違い(超基礎編)
さすがにこれを取り違えていたり勘違いしたまま月面開発をやっている人たちはいないのですが、一般的にはあまり知られていない可能性がある「月開発における常識」レベルからいきましょう。
地球と月にはいくつもの違いがあります。
1)月には空気がない
地球には窒素約78%、酸素約21%、残りがアルゴン、二酸化炭素、水蒸気などでできている大気があります。一般には「空気」とも言われます。月にはこれがありません。ですので、月の表面では人間はおろか地球の生物は生きていくことができません。だって呼吸ができないから。
2)昼が2週間、夜も2週間続く
地球の「1日」は24時間で、昼と夜が24時間毎に繰り返されます。季節によって昼の長さと夜の長さは変わりますが、それでも24時間で1日なのは変わりません。
一方、月は昼と夜の繰り返しである「1日」が約709時間もあります。709時間毎に昼と夜が繰り返されると言っても良いでしょう。地球の日数で言うと約29.5日です。つまり14~15日もの間、太陽の光が当たり続ける「昼」があり、一度太陽が沈むと今度は夜が14~15日もの間続きます。
3)気温が極端
地球は全体を平均すると、だいたい気温が摂氏15度程度だとされています。この原稿を書いている時点では、世界の最低気温記録は1983年7月21日に南極大陸で観測された摂氏−89.2度で、逆に世界の最高気温は計測方法によって諸説あるものの、1972年7月15日にアメリカのファーニス・クリークで計測された摂氏93.9度です。とはいえ、これらの気温は例外的なもので、大抵は摂氏-40度から50度程度の範囲に収まっています。
一方で月は、昼の気温が摂氏120度、夜は-160度とかいう、ろくでもない世界です。昼間の月面にいると焼け死にますし、夜間の月面にいると凍死します。
4)「陸」と「海」がある
月の表面を見てみると、明るいところと暗いところがあります。明るく見える部分は「陸」と呼ばれ、一方暗く見える部分は「海」と呼ばれています。ただし、実際に水で満たされた海があるわけではありません。
5)重力が6分の1
地球の大きさと比べると、月の直径は4分の1しかありません。そして表面での重力は地球の6分の1です。もし地球で体重が60kgの人が月に行くとします。そこで体重計に乗ると体重は10kgと表示されることになります。
他にも物の落ちる速度も地球より遅くなります。
6)その他
月は地球から約38万km離れた場所にあります。ただし地球の周りを楕円軌道を描いて公転しているため、最も近いときは約36万km(大きく見えるのでスーパームーンとか言われます)、最も遠ざかった場合は約40万kmになります。ですから「いつ」月に行くのかというのは、重要です。近いときに到着する様に行くのか、それとも遠いときに到着するのかによって、到着日数が変わるからです。
ここまでは中学校の理科の教科書に出てくるレベルです。
●地球と月の違い(基礎編)
それでは基礎編に行きましょう。月面探査や月開発を行う上で基本となる話を行います。
a)表面はレゴリスで覆われている
月の表面はほぼ全域にわたって細かい砂である「レゴリス」に覆われています。新しくできたクレーター部分でも数cm、古くから存在する「陸」の部分では数十mにも及ぶとされていますが、深さを示したマップは存在していません。
このレゴリスですが、昼夜の気温差が激しいこと、そして高エネルギーの宇宙線が絶え間なく降り注いでいることから、表面にある岩石が風化作用を受けて細かくなった物だと考えられています。平均粒径は70μmとされていることから、非常に細かく、「砂」よりは「粉」の方が正しい表現と言えます。
このレゴリスは宇宙服などに貼り付きますので、月面活動を行った際に付着した物を宇宙船内に持ち込むと電子機器のすき間などにも入り込みます。そのため、動作エラーを起こす原因となりえます。また呼吸の際に吸い込んでしまうと呼吸器疾患の原因にもなります。そのため、レゴリスを宇宙船や月面基地内に持ち込まない工夫が必要です。
あとレゴリスは太陽光が当たると帯電し、月面から舞い上がる事も知られています。そのため機器に影響を与えないための静電防塵機構の開発なども行われています。
b)放射線被曝量が高い
地球の場合は分厚い大気層があるために宇宙からやってくる高エネルギーの宇宙線など、放射線からは守られるようになっています。もちろん宇宙からの放射線が100%キャンセルされるわけではありませんし、花崗岩は自然放射線を出していますので、1年間で2.4mSv程度の放射線被曝量があります。
ところが高度10kmあたりでは事情が変わります。この高度を飛行する国際線旅客機の乗務員は地上と比較すると被曝量が100倍以上高くなるため、年間の搭乗時間数に制限がかけられています。ちなみに東京-ニューヨーク間の1往復で受ける被曝量は約0.2mSvとされていて、1年間の追加被曝量の上限規制値が5mSvですので、1年間に25往復しか搭乗してはいかんということになっているのです。
さて、宇宙空間や月面はもっと被曝量が高くなります。国際宇宙ステーションは1日あたり0.5~1mSvを被曝します。2~3日いると、人間が地上で1年間に被曝する量を受けてしまうということです。月面はもっとひどい。1日あたり1.4mSvと、国際宇宙ステーションよりも被曝量が高くなります。年間被曝量は511mSvと、地球上の213倍です。
ちなみに仕事で放射線を取り扱う人の安全基準は、年間50mSvかつ5年間で100mSvですから、いくら探査のためとはいえ長時間月面に居つづけさせるのは人命軽視と言わざるを得ません。
c)隕石が大変
頻度はそんなに高くありませんが、それでも隕石が降ってきます。地球と違って大気が無いため、燃え尽きて流れ星になるわけでもなく、普通に月面に衝突します。地球には年間2万個の隕石が降ってきているそうですが、大気との摩擦で燃え尽きるために地面まで届く数は多くありません。一方、月は全部落ちてきます。衝突断面積から考えると、月の直径は地球の4分の1、断面積で言えば16分の1ですから、地球が年間2万個だとすると、月は年間1250個ほど落ちてきます。結構な数ですね。
そしてもう1つ。この月面に衝突した隕石はクレーターを造り、そこにあった物質を周辺にまき散らします。それこそ、ものすごい速度で。ですからこういうまき散らされた物質から身を守る手段が必要になるわけです。
d)越夜だって大変
月面に長期滞在する場合の問題点は電力(エネルギー)の確保です。宇宙空間で利用される衛星や探査機はこれまで太陽電池または原子力電池で運用されてきました。月面でも同様となるはずですが、太陽電池には大きな問題があります。それが「越夜」問題です。なにしろ2週間も夜が続くのです。その間、太陽光による発電はできません。ですから昼の2週間の間に夜の分も発電し、それを蓄電池に溜めておく必要があります。のですが、気温が摂氏-160度ですので、これが大変。なにしろエネルギー密度の高いリチウムイオン電池は動作範囲が摂氏ー20度から60度とされています。安全を見るならもっと狭くする必要がありますし、メーカーによっては摂氏5~35度の範囲で運用してほしいと書かれています。
何が問題かというと、摂氏-160度の夜間では、リチウムイオン電池自体を何らかの方法で温めない限り、電源として機能しないということです。ですのでこれまでの月探査機は昼の間だけ太陽光発電で活動し、夜になると休眠。再び昼がくるのを待つというサイクルで探査していました。
人間が送り込まれるのであれば、2週間寝て暮らすというわけには行きませんので、原子力電池の利用など、夜の間も活動できるだけの電気をどこかから供給する必要があります。
e)使える水がどれくらいあるか
2009年に、インドの月探査機チャンドラヤーン1号の実験結果から、約6億t(6.0×10^8t)の水が発見されたという報告がありました。どうやって取り出すかは別として、あることはわかりました。
地球と比較するとどうかという話ですが、地球には14億km^3の水があるとされていまして、これを質量にすると、1.4×10^18tとなります。その中で淡水として人間が利用できるのは0.01%くらいだということですので、1.4×10^14tほどでしょうか。圧倒的に少ないことがわかります。
ちなみに地球上で1人の人間が1日で使う水の量は214リットルだそうで、年間で言えば大体80t。結構使うことが分かります。
ルナ・リコネサンス・オービターの観測結果からは月の岩石というか土壌というかの質量あたり5.6±2.9%が水だという話ですので、人間1人が1日で利用する水の量は、月面で水を含んでいるとされる場所に行き、4tの岩石を処理すれば得られることになります。トイレや風呂で使う分を頑張って節約して1日50リットルで済ませたとしても、毎日1tの岩石から水を絞り出し続けないといかんということです。
まぁ最初に行ってできる限り絞り出しておいて、その後はとにかくリサイクルしまくって何とかするしかない、ということかもしれません。
●月面に基地を作るな
さてここまでの情報で月面に基地を作ることの問題点を挙げます。
まず隕石の衝突から基地を守ることができません。例えば国際宇宙ステーションではスペースデブリの衝突から防護するための対策をしていますが、デブリの速度はせいぜい秒速10kmほどです。それでも壁を突き破ってくることがあるわけです。一方、隕石の場合は速度が秒速15~20kmと、スペースデブリの倍近くになる事がわかっています。場合によってはもっと速いものもあります。ちょっと大きめのものに直撃されるとシャレになりませんし、直撃しなくても作ったクレーターからの飛来物が基地に損傷を与えます。
まぁ隕石の問題は運の要素もあるので横に置いておきましょう。それでも宇宙線や放射線の問題は避けて通れません。被曝量が国際宇宙ステーションよりも多いのは事実ですので、それを何とかしなければ滞在などできません。何しろ地球上で1年かけて受ける被曝量を2日足らずの間に超えてしまうのですから。
この対策として、月面に設置した基地をレゴリスで覆うことによって放射線から守ろうとするアイデアがあります。が、想定が甘い。JAXAで行われた放射線についての研究をみると、放射線量が減るのはレゴリスの厚みが2mを越えてからです。ちょっとかける程度では、高エネルギーの1次放射線がより低エネルギーではあるものの複数の2次放射線に分裂してしまうため、逆に被曝量が増えることになります。ですのでできることなら3m以上はレゴリスによる被覆が必要です。
まぁここまでの情報を考えるだけでも、とりあえず月面を10mくらい掘って基地を設置し、その上をレゴリスで3m以上の厚みで埋めなさいということになるわけです。この厚みのレゴリスで埋めるのであれば、国際宇宙ステーションのような構造物では重みに耐えられるのかという疑念が出ますので、レゴリスを使ったコンクリートを利用するのが望ましいでしょう。とはいえ、最初の基地からこんな大規模工事を行う必要があると、月面開発の難易度は上がってしまいます。
次回は難易度を上げずに月面基地を設置する方法について紹介します。