人工重力のメリットとデメリット

 前回は、月の縦孔からアクセスできる地下空洞に基地を作るためのアイデアを紹介しました。また初期の基地設置アイデアも紹介しました。そこで今回はもう少し未来に目向けて、どのような月面居住空間が作れそうなのかについて考えます。

●密閉空間の構築

 溶岩チューブの地下空洞に基地を作るというアイデアは、2008年に発売された林穣治氏の「ルナ・シューター」ですでに紹介されています。また、地下空洞内を与圧して居住空間にしている例は1974年から現在にまで連なる「機動戦士ガンダム」シリーズで既に描かれています。月のニアサイドにある「フォン・ブラウン」やファーサイドにある「グラナダ」などは地下に都市が建設されています。ただし、これらは地下空洞を利用したものでは無さそうです。どちらかというとクレーターをベースに、そこから壁面を掘削して地下都市を作ったという感じでした。ちなみに1999年放送の「∀ガンダム」では地下水路が存在している様子まで描かれていました。

 ですが、わざわざ掘らなくても、ある程度のサイズの地下空間は存在しています。それが溶岩チューブの地下空間なわけです。前回のコラムではここにインフレータブル構造体を活用して基地を作るというアイデアを披露しました。実際に月面開発の初期はそういう形の基地を設置することとなるでしょう。
 とはいえいつまでもこのタイプの基地だと、空間を有効活用しているとは言えません。地下空洞を有効活用するのであれば、入口をしっかりと塞ぎ、その上で内部を与圧してしまうのが良いでしょう。そうすれば地下空洞の床面を「地面」として、天井までの空間を全て利用することができるようになります。MHHでは天井まで30mほどありますから、10階建て程度のビルを建設することもできます。またMTHではおそらく天井高は60mほどもあるでしょうから、20階建てのビルを建設することもできるはずです。すると、インフレータブル構造体や、国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」のようなモジュールを組み合わせた基地ではなく、地球上の都市に近いものが建設可能です。
 ただし、問題点もあります。思いつく限り挙げてみましょう。

1)空気漏れが発生するかもしれない
 何と言っても自然の空洞ですから、もしかしたら亀裂があって、そこから与圧した空気が漏れるかもしれません。なまじっかサイズが大きいために、漏れが検知されたとしても、どこから漏れているのか、そして空気の漏れるポイントを完全に塞ぐことができるのかについては不明です。場合によっては地下空洞を幾つかに区切って与圧していき、隣の区画との間に仕切りを作っておく必要があるかもしれません。なんか、島三号型のスペースコロニーを作るときに少しずつ円筒を延ばしながら与圧していくのに似ていますね。

2)風化への対応が必要
 空気を入れて与圧した瞬間、そこにあった月の情報は消えてしまいます。科学的な研究を行うことはできなくなりますから、もし地下空洞内の科学的な研究を継続して行うつもりであれば、一部を真空状態のまま保存することが必要になります。
 また、与圧した空間側では地下空洞内の岩石が風化していきます。天井が崩落する可能性もありますので、与圧前には空洞内の壁面や天井をコーティングして崩落を防ぐような対策をしておく必要があります。これは1)の空気漏れ対策にもなります。
 もし地下空洞内に池や川などの水辺まで作るつもりであれば、空気による風化に留まらず、水による風化についても対策が必要になります。

3)重力は1/6のまま
 これはメリットにもなりますし、デメリットにもなります。月の重力は地球の1/6ですから、建築物に使用する柱などの耐荷重は地球上よりも緩くて済みます。これは高層建築物を作りやすいという意味でもあります。地球の場合は超高密度コンクリートを使うなり、柱の数を増やすことで耐荷重の基準をクリアしますが、月ではそれがかなりゆるめられます。通常のコンクリートで、しかも柱の数を減らしても建物が倒壊しないということを意味します。
 また高齢になり膝などに障害を抱えるようになった人も、関節にかかる負担が1/6になりますから、生活がしやすくなるでしょう。

 一方、地球と往復する人物にとってはうれしくないことです。現在でも国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士は骨密度の低下や筋力低下が起こり、一定期間のリハビリを要します。月に長期滞在してから地球に戻ると、同じ様なリハビリ期間を設ける必要があります。その辺は太田垣康男氏の「MOONLIGHT MILES」や幸村誠氏の「プラネテス」でも描かれていますので、そちらもチェックしてみてください。
 つまり、地球と月を往復する人たちに向けては、1Gを達成する人工重力エリアが設置されている方が良いということです。

●ルナ・グラス

 というわけで、人工重力で1G空間を作りたいわけですが、100年前のスペースオペラや、スターウォーズ、スタートレックの様に重力をさくっと生み出せるわけではありません。やはり回転による遠心力を疑似重力とするのが簡単な手法です。機動戦士ガンダムに出てくるスペースコロニーと同じです。
 現在、鹿島建設が京都大学と共同で「ルナ・グラス」という仕組みを研究しています。「グラス」の名の通り、ワイングラスのような放物面を回転させて人工重力を生み出すというものです。これは月や火星など、低重力の天体に合うような放物面を用意し、回転による人工重力を生み出す事ができるとされています。火星用の「マーズ・グラス」なども提案されています。
 さて、当初は月面に設置する予定で検討が進んでいたルナ・グラスですが、宇宙科学技術連合講演会のUZUMEオーガナイズドセッションでは、放物面の一部を切り出して地下空洞の高さに合うような形で設置するという提案がされています。天井まで高さがあり、半径を大きく取るのであれば空洞の横幅も広さが必要ですので、できればMTHレベルの大きな地下空洞に設置するのが良さそうです。
 このルナ・グラスが設置できれば、1Gが必要なものはこの中に設置することができます。地球と同じ環境を作ることもできますし、ルナ・グラスの外側では1/6Gの低重力環境が手に入りますので、人類は大変使い勝手の良い空間を手に入れられるわけです。

●問題は宇宙港とアクセス方法

 とはいえ、問題もあります。何と言っても一番の問題点は「地下空洞へのアクセス方法」でしょう。将来的にはスカイライト部分にフタをしてしまい、そこを宇宙港にしてしまうという手はあります。そして着陸したパッドごと、エレベーターで地下空洞へ宇宙船を下ろしてしまうわけです。着陸パッドに宇宙船が着陸したら、そこがエレベーターになってルナ・グラスなどが設置された地下空洞内にまで降下します。そうすれば隕石や放射線の心配をせず、安全に月面基地に入っていくことができます。でもMTHでも直径100mしかありません。あまり大きな宇宙船を着陸させられるわけではなさそうです。
 となると、スカイライト部分の傍に発着ポートを作り、そこからスカイライト部分まで何らかの方法で移動する必要があります。このアクセスルートだけは地表に作ってしまうと隕石と放射線の問題が発生します。となると、着陸パッドの部分は頑張って掘り、地下に下ろした後、人工的に掘った地下通路を通って本来の地下空洞へのアクセスを行うというのが良さそうです。やはり結構な大規模工事が必要です。そこをどうするのかですが、ここまでの規模の基地を作れる状況であれば、月面の開発がかなり進んでいるフェーズだろうと想定できますので、何とかなるかもしれません。
 むしろ問題は初期開発フェーズでしょう。アポロ宇宙船のようなランダーに毛が生えたレベルの着陸船で人間を送る場合、縦孔の底にどうやってアクセスするのか。ここが大問題です。縦孔の底にある瓦礫を撤去するか、瓦礫の上に着陸パッドを整備できるのであれば、ダイレクトに縦孔の底に着陸するという手はあります。それでも着陸パッドとして整備できれば、という前提付きです。整備には資材が必要ですので、どうやって資材を下ろすのか。
 当面は無人機を使い、縦孔の傍に資材を下ろした後、徐々に縦孔の底に資材を下ろす。そして縦孔の底に着陸パッドを整備する。そうすればそこにダイレクトに資材を搬入する無人機を着陸させることができます。ですから当初はできる限り無人で作業と設営を進め、ある程度の設営が進んだ段階で人間が向かうというのが現実的なスタイルとなるのでしょう。実現までどの程度の年数がかかるのかはわかりませんが、2050年くらいまでに実現すると良いですね。